原宿駅を背にして緩やかな坂道になっている竹下通りを見下ろすと無数の服と黒いアタマが折り重なるようにゆらゆらと動いている。モリシタに続いて意を決してそのアタマのひとつとなってみると、思ったほどの混み合いではない。さまざまな原色の縁のサングラスやブカブカの服がぶら下がっている露天から少し落ち着いたブティック、マクドナルドやスパゲッティ屋、やや高級そうな寿司屋が軒を連ねている。路地を埋め尽くす若者と中高年、外国人たちをマイケル・ジャクソンだかデビッド・ボウイといった流行の洋楽があちらこちらから包み込んでいる。キョロキョロと辺りを見渡しながら、200メートルほど進んだクレープの甘い香りがマックスに達した右手に僕らの目的地はあった。スケートボードとローラースケートが店先に並んでいる以外は普通の靴屋のようだ。モリシタにこの店の名前を聞いたときは居酒屋か?と聞き返した。高校生が居酒屋と思うかもしれないが付属校だということもあり時折クラスで開かれるコンパや何を上げるの分からない“打ち上げ”というものがその居酒屋で頻繁に開かれていた。部活もやらず、受験まっしぐらでもなく、といって遊ぶ訳でもない中途半端な17歳の高校生でも居酒屋に行くことは珍しくなかった。月桂樹をアタマにつけた古代ローマ人の横顔が店のグラフィックだ。モリシタはカウンターテーブルを挟んだ作業場でスケートボードにデッキテープを貼っている青年に声をかけた。ショップの看板ライダーの“ローズ”こと松島勝美である。マッシュルームカットで目鼻立ちがハッキリとしている。モリシタが言うところの日本で一番うまいスケーターだ。「そうなんだ。スケートボード買いたいんだね。このショップオリジナルがおススメだよ。」僕は店内に飾ってある夥しい数のスケートボード、ウイール、トラックに目移りしながらも初めて会うタイプの人だと感じていた。ローズはダラダラしている高校生の僕らを適当にあしらうとナンバースリーにジュースを買いに行くと言うと店先に転がっていた板に飛び乗り雑踏をスラロームのように縫って、そのコンビニへ消えていった。ローズにとってはモリシタはたまに来る客のひとりといった感じだったのが少し寂しかった。それでも不思議なスターに会った興奮で「ハーフなのかな?」と言うと「さあ、少しは入ってるのじゃないの」とモリシタは投げやりに返した。
アメリカから輸入されているスケートボードはデッキ(板)だけで15000円から20000円くらいした。ウィール(車輪)もトラック(金具)も何も無しでである。乗れる状態にすると50000円にはなる計算だ。輸入モノが高いのは仕方がない。1983年はドルが250円した時代だ。それが、数年後には125円になり、さらに数年後は80円台になった…。
僕のモチベーションを大ざっぱに分析するとモノを手に入れることにあるようだ。小学生の頃は模型、忍者の道具、スケートボード。中学生の時の一眼レフカメラなど…スケートボードもスポーツノートというハウトゥシリーズのカタログページの商品の値段と写真を幾度も量りにかけては心臓の鼓動を速くしていた。
現代人にとってモノとその値段との葛藤は限りがない。自分の身の丈にあった、いいものを見つけるのがモノを買う醍醐味である。初めて買ったカメラはオリンパスOM-1newだった。かなり悩んで新宿の西口にテーマソングを歌を歌いながら向かった。(心の中で)ニコンF2は高すぎて論外として、対抗馬としてのペンタックスMX、リコーの一眼サンキュッパではなくOM-1を選んだことは自分にとっては正しかったと思う…。
それから毎日のように通った今でこそ全国に百数十店舗を構える横乗り業界大手のメガチェーンだが当時は上野に2軒と、この原宿だけだった。
モノ選びにこだわりを持っていたはずの僕が翌週そこで購入したスケートボードはモリシタのおススメではなかったムラサキスポーツのローズモデルだった。
つづく
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