高校3年になった途端の朝練開始。そろそろ進学について考えている雰囲気を出さなきゃいけないタイミングにさしかかっていた。 1983年6月11日。18歳になった自分へプレゼントという訳の分からない言い訳をしてローズモデルを買った。17800円。手持ちで買える板はそれ以外になかった。他にOff shoreとか書いてある謎の板が9800円くらいであったけど流れでローズモデルになった。翌日学校でモリシタに話すとマジかよ?とあきれた声で叫んだ。そりゃモリシタのシムスみたいなのが正直欲しかったさ… 幅は7.5インチくらいでクリアの木目にコンケーブ無しデッキテープはMAGIC RIDEと型抜きしてある。トラックにもMAGIC RIDEと刻印してある。ウィールだけはアメリカ製のパウエル&ペラルタ、ストリートキュービック。色はオレンジ口径は60mmで、F1のタイヤ並に幅広だ。固さは(柔らかさ)80A。家の周りのアスファルトとの相性は抜群だ。吸い付くように路面を滑っていく。すっかり気に入った。ノーズガードと木製のテールボーンも勧められるままに着けた。ローズがオマケと称して貼ってくれたバナナクラブのステッカーは数日はそのままにしておいて、パウエルの竜のマークのステッカーを代わりに貼った。ステッカーの威力は絶大でパッと見、パウエルの板のように見えた(?)渋谷児童館に速攻持っていった。なんだかうまくなった気がした。テールボーンはモリシタの「オーリーの邪魔」という言葉でその場で取り外した。 薄手のナイロン製のジョギングシューズには一瞬で穴が開いた。紙ヤスリで思い切り擦ってるオーリーにトライすれば当然のことだ。あるとき三回ほどオーリーの動作をやったときに「臭い!?」前足で犬の糞を踏んづけたことに気がつかないままオーリーでデッキテープに糞を擦り込んでしまったのだ。デッキテープの細かい間とMAGIC RIDEと型抜きしてあるところにしっかりと黄色いものがついている。こんなときはどうするかが輸入スケート雑誌THRASHERのQ&Aに載っていた、(泥が着いたときの答えだったけど)歯ブラシで掃除する。が答えだった。 風呂場で犬の糞のニオイをまき散らしながら歯ブラシで結果二回洗った。あれから足裏感覚を常に研ぎすますようになったおかげか、路面がどれくらいスムーズか一瞬で分かるようになった  夜の美竹公園は初夏の新緑が清々しい季節にもかかわらず、公園全体に淀んだ空気がたれ込めているような場所だった。繁華街の喧噪から逃げてきた無言のカップルやベンチでひとり佇む中年男性がたまに立ち寄るだけだ。薄暗い街灯にどこからともなく虫が集まってくるように 経年変化がすすんだ70年代製のコンクリートバンクを目当てにスケーターやBMX乗りがぽつりぽつりと集まってくるのだ。適当に挨拶をしてただ滑る。どこから来てるの? なんて聞くのも野暮だし顔見知りになっても名前すら知らない。知らない同士が子供の滑り台で代わり番こに滑る。今晩はモリシタがキックターン100回に挑戦するという。バンクの高さが手前と奥で違いがあるのでスピードを絶妙にコントロールしないと手前のレールにひっかかるか、失速して終わる。フラットバンクは伸び上がりと踏み込みが一瞬だから、タイミングがすべてだ。  別のクラスにサトウというやつがいるらしい。スケートボードにハマっているという噂を聞きつけてお互いになんとなく話すようになった。逆にモリシタとは急激にスケートボードにハマっていく僕にあきれたのか、スケートボード熱が醒めたのか、「別に遊ぶ友達がみんなスケートやってなくてもいいんだぜ。」という言葉とともに距離が離れていった。 (写真 プロライン田中 児童館=美竹公園 1984)